道場について

誠和会とは

昭和62年、当時の誠和会本部 故 田崎修司主席師範の承認を得て,中泉代表師範が数名の仲間と一緒に守谷市(当時守谷町)で当支部を開設し道場を移しながら歩み続け30由余年が過ぎました。田崎先生が逝去したのち大曲支部長であった藤原先生が主席師範を引き継ぎ、本部を秋田県大仙市に構え、その関東地区茨城支部として、現在つくばみらい市小絹にて多くの道場生が汗を流しています。

※当団体は㈶
全日本空手道連盟全日本空手道連盟剛柔会・
 つくばみらい市体育協会に加盟している正規団体です。

剛柔流とは

 剛柔流流祖の宮城長順先生は明治21年那覇市東町に出生し、14歳の時に当時那覇手随一とうたわれた東恩納寛量先生に師事した。東恩納先生の厳しい指導のもとにめきめき頭角を現し、多くの門弟の中で技量・力量ともに抜群であった。その後中国の福州に渡り各地を研鑚に努めた。宮城長順先生はご自身の研究に基づき新しく体育的次元に立脚した合理的な修練体型を確立し多くの門下生の指導にあたられた。
さらに先生は要請に応えられ警察、師範学校、那覇商業、関西大学、立命館大学、同支社大学などで指導され、昭和14年にはハワイ各地
でも指導されっ剛柔流空手道の普及発展に力をされた。昭和28年に
65歳で亡くなられたが拳聖とうたわれ、近代空手の父とうたわれた